自信が欲しい
ファイトクラブを見たときは自信にあふれてるよ
ブラピ演じるタイラーダーデンに世の真理を見出したりして。
それを知らない周りがひどく馬鹿に見えてさ。自分が特別に感じる!
だけど一日たち、あいかわらずの現実に埋没するとその時感じた高揚感は消え、下ばかり向いて歩く日陰の存在に元通り。
コーチングの本からエフェイカシー(自信)のあげ方を学び、鏡に向かってポジティブな言葉を投げかける朝だが、定時をとっくに過ぎた頃に会社を出る夜にはもう自分の中に自信は存在していない。
どうしても自信は心の中にとどまっていてくれない。
ある時は自信満々だが、ある時は人の目も見れないほどビクビクしている。
栄養不足だか睡眠不足だかしらないが、何を満たせばあの人みたいに堂々と意見が言えるのか。
自分の意見になぜ少しの疑問も持たないのだろう…自信とは客観性を排除しないと手に入らないものなのだろうか。
客観性が欠如している人間は平気で人を傷つける。自信満々に人を傷つける。
客観性が十分な人間は人から自分がどう見られているのかばかり考えて心が疲弊している。
あいつらの自信は俺らの我慢の上に成り立っている。言ってやりたいよ。お前ってたいしたことないよねって!
でもその場の空気を壊すことを怖がる俺は作り笑いでやり過ごしてまたあいつに根拠のない自信を植え付ける。
自信なんて汚らわしいよ。そんなもの体の中にいれたくないね。